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<信教の自由に関する提言>

現在、世界的に自由・民主主義は専制主義の大きな挑戦を受けている。同様に、民主主義の根幹である「信教の自由」も多くの困難に直面している。例えば、アジアにおいては、中国大陸でのキリスト教をはじめとして、チベットやウィグルの人々の宗教への迫害と規制は、世界的に多くの関心を集めている。専制主義国家等において、信教の自由が脅かされている状況を決して看過することはできない。私たち、国際宗教自由連合日本委員会は、人権保護や世界平和実現の観点から、これらの事象に重大な関心を持っている。

日本においても, 信教の自由をめぐって大きな問題が発生している。即ち、自由な宗教活動を制限しようとする動きが、政府やマスコミの中に見られるのである。そして、ついに本年、日本における信教の自由問題はアメリカの国務省が重大な問題として、国際的な信教の自由に関する年次報告書に掲載し懸念を表明するにいたった。ヨーロッパでも、新しい宗教運動の現状を報告・討論する宗教学者の会議がフランス・ボルドーで開催され、日本政府による宗教法人・世界平和統一家庭連合への解散命令請求が、宗教の自由を脅かすものとして報告された。安倍元首相の殺害に端を発する、家庭連合への社会的攻撃と政府の対応の最大の問題の一つは、一部の特殊なケースや反宗教的勢力の一方的情報をもって、政府が宗教問題を論じていることである。特定の宗教団体のみを念頭において、その活動を制限するための法的規制をしようとする政府の姿勢は、解釈次第であらゆる宗教団体に無制限に適用される可能性があり、宗教への政治のあからさまな干渉である。繰り返すが、信教の自由は民主主義の根幹であり、基本的人権の中で最も重要なものである。

歴史の流れに逆行する信教の自由を侵害する恐れのある法の制定や規制が、アジアの「自由と民主主義の模範とも言われる日本」で行われれば、欧米やアジア諸国が、わが国の民主主義や人権問題に対して、大きな疑念を抱くことになることは疑いの余地もない。それはまた、日本に精神的混迷をもたらし、不寛容で攻撃的社会の出現を招くことになる。日本が世界からの信頼を喪失してしまうことを防がなければならない。

このような状況から、国際宗教自由連合日本委員会は、以下のように宣言する。

1)   宗教やカルトの定義を法律で安易にすることは慎むべきである

宗教の定義は、宗教学の歴史的な課題であり、世界の宗教学界でも常に論議が繰り返されており、必ずしも一定していない。まして政治家が法律によって宗教の定義を行うべきではない。一旦、法律で宗教を定義すれば、それ以外は宗教ではないということになり、信教の自由が著しく制限されることになるのである。同様に「カルト」を定義することも事実上不可能に近いものである。その定義は極めて曖昧で、解釈次第でいかなる団体も「カルト」とみなされる。従って、法律で「カルト」を定義し、その活動を法的に制限しようとすることは、厳に慎まなければならないと言える。

2)「信教の自由」は、「信じる自由」とともに、それに基づいた活動の自由を保障するものでなければならない

近代民主主義の土台を形成する「思想・信条、言論、結社の自由」など、基本的人権の根幹には信教の自由がある。国連人権規約(自由権規約)で定められた信教の自由とは、宗教の諸次元、すなわち信仰、行動、集団の各レベルにおける自由を意味する。そこには、信仰と良心に基づく政治的意見の表明や、政治活動を行う自由も、当然含まれるものである。それゆえ、法律によって、宗教や宗教団体を差別し、個人や団体の宗教行為あるいは政治活動を禁止・制限することは、憲法で保障された信教の自由に反するものと言える。

3)政教分離原則は国家の宗教活動への介入の禁止を求めるものである

宗教と政治は、元来、いつの時代も完全には分離することはできない。政教分離は、正しくは国家と教会(宗教団体)との分離を意味する。その適切なあり方は、各国の歴史的経緯により様々であることは言うまでもない。政教分離は、宗教が政治の恣意的支配を受けないことであると共に、政治が特定宗教団体から支配を受けないことも意味している。我が国では、過去の反省から、二度と信教の自由が侵されないように、憲法二十条が定められた。政教の分離は信教の自由を守る手段として定められたものであると言える。政教の分離は国家の宗教への介入を禁止する意味であり、そこにこそ政治は最大限の注意を払うべきである。

4)宗教活動を制限する法律の制定は行うべきではない

アメリカ憲法修正一条は、「宗教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない」と明記している。同様に、わが国において、宗教上の自由な活動の制限や禁止につながる、いかなる立法化も行うべきではない。しかし、日本では家庭連合への解散命令請求とともに、宗教法人に対するさまざまな法的・行政的規制が実行され始め、信教の自由は危機に瀕していると言える。

5)信教の自由の侵害は、わが国の国際社会での地位を貶める

我が国で「信教の自由の制限」につながるような立法化や司法の決定がなされれば、日本は前近代的で反自由主義的な「異質な国家」とみなされることとなる。そして、欧米のみならずアジア諸国の、我が国の自由主義と民主主義への疑念と不信が、拡大することが予想される。やがては、わが国の評価を著しく貶めることとなるであろう。それは、日本国憲法前文に記されている、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」という「憲法の精神」にも反することとなる。この憲法の精神と国民の願いを実現するために、自らと異なるものへの寛容性を示し、共生社会を築き上げていかなければならない。我が国を決して「反宗教国家」にしてはならない。

以上、宗教と文化の長い歴史を持つ、美しいこの日本が、信教の自由と基本的人権、そして自由と民主主義を尊ぶ国となるように強く願うものである。

2024年年7月

国際宗教自由連合

日本委員会総会

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